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東京地方裁判所 平成元年(ワ)4218号 判決

原告

森本太郎

右訴訟代理人弁護士

三笠禎介

髙川俊二郎

被告

株式会社辰巳商会

右代表者代表取締役

高森昭

右訴訟代理人弁護士

森恕

鶴田正信

主文

一  被告は、原告に対し、金二億一四八〇万円及びこれに対する平成元年四月一四日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その七を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金三億一四〇〇万円及びこれに対する平成元年四月一四日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(当事者等)

(一)  被告は、肩書地に住所を有し、昭和四五年一一月から昭和六三年八月まで、後記日本国際輸送株式会社(以下「日本国際」という。)の代表取締役の地位にあった者である。

(二)  被告は肩書地に本店を有し、海上運送事業、港湾運送事業等を主たる目的とする会社である。

(三)  日本国際は、中小企業近代化促進法により、二社が合併して設立され、港湾運送事業等を主たる目的とする会社であり、現在は更生会社である。すなわち、昭和四四年八月、東和運輸株式会社(昭和二五年設立)京浜部門が分離独立し、日本国際輸送株式会社として資本金五〇〇〇万円で横浜市中区に設立され、翌年、東神運輸株式会社(昭和二二年設立)を吸収合併し、資本金を一億円として原告が代表取締役に就任した。日本国際は、以後昭和五〇年ころまでは順調な経営を続けてきたが、昭和五〇年のオイルショック並びにその後の急激な円高による為替差損、金融機関からの借入金による金利負担増、輸出品の軽薄短小化による港湾通過貨物量の横這い等の諸要因による経営不振に追い込まれた。

2(交渉に至る経緯)

(一)  被告の代表取締役であった藤堂幾蔵(以下「藤堂」という。)は、昭和六〇年秋ころ、富山港運株式会社(以下「富山港運」という。)の寺島専務(以下「寺島」という。)から、日本国際が経営不振による立て直しのため、適当な業務提携先または資本参加希望者を探していると聞き、寺島に対して、日本国際への資本参加をしたい旨告げ、日本国際との交渉の仲介を依頼した。

(二)  原告は、藤堂に対して、昭和六〇年一二月末ころ、寺島を介して、交渉に応じる意思がある旨回答し、左の四項目の前提条件を提示した。

(1) 被告は原告ほか一五名が保有する日本国際発行済株式合計三四万五二〇〇株(日本国際の発行済株式の約八六パーセントに相当)を買い取り、日本国際の筆頭株主となること(買取価格はおって協議のうえ決定する。)。

(2) 被告には日本国際の筆頭株主として日本国際の経営責任を負うこと。

(3) 被告は日本国際に代表取役社長及び取締役一名を派遣し、原告は代表取締役会長に退くこと。

(4) 被告は、原告が日本国際の銀行借入につき負担したすべての個人保証債務(物上保証を含む。)を原告に肩代わりして引き受けること。

3(原告・藤堂間の会談の経緯)

(一)  昭和六一年一月三〇日

原告と藤堂は、昭和六一年一月三〇日、石井正弘(以下「石井」という。)立会いのもとで会談した。右会談では、日本国際の株式(東和運輸倉庫株式会社(以下「東和運輸倉庫」という。)保有分一七万株、登産業合資会社(以下「登産業」という。)保有分八万九七〇〇株、原告ほか個人株主一三名保有分八万五五〇〇株、合計三四万五二〇〇株。以下、これらを「本件株式」という。)を被告に譲渡する件及び原告が日本国際の銀行借入に際して負担した個人保証債務(物上保証を含む。)の全額を被告が原告に肩代わりして引き受ける件等につき話し合いが行われた。まず、右会談の席上、原告から藤堂に対し、日本国際の会社組織図、昭和六〇年九月三〇日現在の貸借対照表(兼実資力算定表)(以下「実資力算定表」という。)不良資産内訳、有価証券及び不動産等含み資産内訳、第一七期上期売上順位表、日本国際の子会社である横浜貨物加工事業協同組合の貸借対照表(兼実資力算定表)等を手渡した。そして、原告はこれらの各資料に基づき、日本国際の経理及び経営の現況を説明し、藤堂の質問に答えた。藤堂は右の各資料をしばらく検討した後、本件の株式を一株当たり一二五〇円で買い取りたいと述べた。これに対し、原告より、日本国際の現状よりみて、それでは少々高すぎるのではないかと言ったところ、藤堂は再考のうえ、本件株式を一株当たり七五〇円で買い取ることを再提案し、原告はこれに同意した。

なお、原告が日本国際の銀行借入に際して負担した個人保証債務全額(昭和六〇年九月期における長・短期の借入金合計二六億五一二五万円)を被告が原告に肩代わりして引き受ける件については、被告が右保証債務残額の肩代わりをし、併せて原告所有不動産に設定した担保(原告から被担保債務合計一億〇一〇〇万円であると説明した。)を全て解除したうえ被告においてそれに代わる担保を銀行に差し入れることが合意された。最後に、日本国際の役員及び社員の待遇につき原告より現状維持を希望する旨を提案したところ藤堂は前向きに検討すると答えた。

(二)  昭和六一年二月一七日

原告と藤堂は、昭和六一年二月一七日、会談した。右会談では、原告は藤堂に、日本国際の定款、社員給与関係資料などを手渡した。この会談で確認または合意した事項は以下のとおりである。

(1) 譲渡対象である本件株式の内容及び譲渡価格を再確認した。ただし、東和運輸倉庫にかかる日本国際株式の譲渡価格は一株当たり六〇〇円とし、当初予定していた一株当たり七五〇円との差額(一株当たり一五〇円)は原告外一四名の保有にかかる株式の譲渡価格に上乗せする(一株当たり九〇〇円となる。)。

(2) 日本国際の銀行借入につき原告が負担した保証債務残高を「金融機関取引状況一覧表」により確認した。

(3) 原告は日本国際の代表取締役社長から退き、代わって藤堂がその地位に就任する。原告は代表取締役会長となる。

(4) 本件株式の譲渡を三月末までに完了し、四月一日から被告主導の下に新体制で発足する。

(5) 今後とも日本国際の主要取引銀行は、三井、大和、富山の各銀行横浜支店とする。

(三)  昭和六一年二月二七日

原告と藤堂は、昭和六一年二月二七日、石井立会いのもと会談した。右会談で合意した事項は以下のとおりである。

(1) 本件株式の譲渡に係る節税対策として、登産業が保有する日本国際の株式八万九七〇〇株は四月上旬に被告に譲渡する。

(2) 役員、社員の待遇は現状通りとする。

なお、この席上、原告から藤堂に対し、日本国際が当期(昭和六一年三月期)に一億円余りの経常赤字を計上する見込みであることを告げた。さらに、原告から被告に提出済みの不良資産内訳の記載事項に加え、江間忠木材株式会社に対し約五〇〇〇万円の長期未収金があるところ、全額の回収は期待し得ないこと、日本国際の関連会社であるマルチモーダルインク社がソ連との取引で約三億円の長期未収金をかかえているため、日本国際から約一億円の資金援助をしていることなどを報告した。藤堂は原告から右の報告を受け、すべて了解すると回答した。最後に原告から藤堂に対し、来る三月五日までに被告に対し、本件株式の譲渡に関する契約書の案文及び原告の個人保証債務全額の被告による引受に関する契約書の案文(何れもその内容につき原告と被告間に合意済みである。)を送付することを約し、藤堂もこれを了承のうえ会談は終了した。

(四)  以上の、原告と、藤堂間の交渉経緯に照らすと、以下の各契約が成立したものである。

(1) 原告と被告(当時の代表取締役藤堂)との間で、昭和六一年一月三〇日(遅くとも同年二月一七日)、日本国際の金融機関からの借入に際して、原告が行った二九億二八〇〇万円の個人保証及び物上保証をすべて被告が引き受ける旨(以下「本件債務引受契約」という。)の契約。

(2) 日本国際(代表取締役原告)と被告(代表取締役藤堂)との間で、昭和六一年一月三〇日ころ、被告が日本国際へ資本参加する旨(以下「経営参加契約」という。)、被告から日本国際へ役員派遣する旨(以下「役員派遣契約」という。)の各契約。

(3) 日本国際株主一四名代理人原告及び原告と被告(代表取締役藤堂)との間で、昭和六一年一月三〇日ころ、本件株式三四万五二〇〇株を一株当たり七五〇円(昭和六一年二月一七日、東和運輸倉庫所有株式については一株当たり六〇〇円、その余の株主所有株式については一株当たり九〇〇円と変更された。)で被告に売り渡す旨(以下「本件株式譲渡契約」という。)の契約。

4(被告による本件全契約の一方的破棄)

本件株式譲渡契約に基づき、昭和六一年三月から四月にかけて原告外一四名の所有にかかる日本国際株式三四万五二〇〇株が被告に譲渡された。さらに、被告は、当時同社代表取締役であった藤堂を日本国際の代表取締役として、また、被告の他の取締役一名を日本国際の取締役として、それぞれ派遣し、これに伴い、原告は日本国際の代表取締役会長に退いた。このように、原告、日本国際及び被告間の前記各契約は着々と履行されていた。

ところが、被告は、昭和六一年四月二一日、被告が原告及び日本国際との間に締結したすべての契約を一方的に破棄する旨原告及び日本国際に通知した。

右被告による全契約の一方的破棄は、何ら正当事由によるものではなく、原告に対する関係では本件債務引受契約の債務不履行を構成する。

5(損害)

(一)  保証債務履行分

(1) 被告の全契約破棄に起因する日本国際の経営危機により、取引金融機関は日本国際への融資に難色を示した。原告は、どうしても運転資金等を借り入れる必要があったため、三井銀行横浜駅前支店(以下「三井銀行」という。)の求めに応じ、追加担保として原告の自宅の土地、建物に極度額二億円の根抵当権を設定し、かつ、これを早急に処分して極度額に相当する借入金を一括返済することを約束したうえ、同銀行から五〇〇〇万円の融資を受けるとができた。原告は、その後、右不動産を売却して、同年六月一一日、三井銀行に対し従来の物上保証分も合わせた二億五一〇〇万円を弁済し、また、富士銀行横浜支店(以下「富士銀行」という。)は、右不動産につき五〇〇〇万円の担保を設定していたため、右売却に際し、原告は、同銀行の要求に応じ五〇〇〇万円を一括弁済した。

さらに、昭和六三年九月には株式会社第四銀行から保証債務六〇六一万八六三三円の履行を求める訴えが提起され、原告は、平成元年三月八日、同銀行との和解により金三〇〇万円を支払った。

(2) 日本国際が昭和六一年七月七日付けで横浜地方裁判所に申し立てた会社更生手続開始申請事件(横浜地裁(ミ)第三号)において、横浜地方裁判所は、同年七月一八日保全処分決定を下し、保全管理人を選任し、さらに同年一二月三日、更生開始決定を下し、更生管財人に弁護士日下部長作を選任した。原告は、右手続において、更生管財人に対し、一般更生債権三億〇一〇〇万円につき、更生債権届出を行った。しかるに、横浜地方裁判所は、昭和六二年五月二七日、原告に対し、右届出債権全額につき管財人から異議があった旨を通知した。更生管財人が原告の届出債権全額に異議を述べたのは、更生手続においては、更生会社代表者が会社に有する債権を一〇〇パーセント切り捨てるのが通例の扱いであること、届出債権三億〇一〇〇万円は更生会社の再建に必要不可欠であること、そしてこれを否認しない限り、更生計画への債権者による協力が得られず、更生手続が進まなくなり、最悪の場合破産手続に移行せざるをえなくなるとの理由によるものであった。右更生手続開始後、横浜地裁の選任により日本国際の経理調査を行った公認会計士大場伊久男も、昭和六一年一〇月二一日付け調査報告書において、原告への債務を一〇〇パーセント切り捨てることを前提に、更生会社(日本国際)による債務弁済計画を立案した。原告としては、右のような事情を考慮したうえ、やむなく届出債権回収を断念した。その後、これを前提とする更生計画案が承認された。

(3) したがって、原告は、右保証債務履行額三億〇四〇〇万円の損害を被ったものであり、右損害は、被告による本件債務引受契約の不履行と相当因果関係にたつ損害である。

(二)  慰謝料

被告の前記全契約の一方的破棄により、原告が長年にわたり経営し育成してきた日本国際は事実上倒産し、原告の事業家としての社会的生命は絶たれ、信用も失墜した。これらの事態により、原告は計り知れない精神的苦痛を味わったが、原告の従来の社会的地位に鑑みると、これに対する慰謝料として、一〇〇〇万円が相当である。

6 よって、原告は、被告に対し、損害賠償として、三億一四〇〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日である平成元年四月一四日から支払済みに至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1(一)  請求原因1(一)の事実中、原告が代表取締役であった期間は知らないが、その余の事実は認める。

(二)  同1(二)の事実は認める。

(三)  同1(三)の事実中、日本国際の目的内容、現在更生会社であること、同社が昭和四四年八月設立されたことは認め、その余の事実は知らない。

2(一)  同2(一)の事実は否認する。

日本国際への株式取得による資本参加、または経営委任の依頼は、当初、原告から石井を通じて富山港運に持ち込まれ、同社は寺島を通じて、この話を被告の当時の代表取締役藤堂に紹介した。

したがって、話は森本から石井、石井から寺島、寺島から藤堂という順序で持ち込まれたのであって、原告がいうように、藤堂から積極的に寺島に依頼して原告まで通していったものではない。

(二)  同2(二)の事実は否認する。

当時の日本国際の経営、経済状態からすれば、原告が藤堂に対し、経営参加等を懇請することはあり得ても、このような、対等以上の要求を含む前提条件を提示できる状況にはなかった。

3(一)  同3(一)の事実中、原告と藤堂が昭和六一年一月三〇日会談した事実は認めるが、会談内容は否認する。右会談において、藤堂と原告から、被告に対する株式の譲渡や、被告の日本国際に対する資本参加、経営委任などの要請を受けたが、原告個人の保証債務の肩代わりの要請は受けていない。また、この段階では、藤堂と右各要請に対して単に前向きの意向を示したにすぎない。

(二)  同3(二)の事実中、原告と藤堂が昭和六一年二月一七日会談した事実は認めるが、会談内容などその余の事実は否認する。同日、藤堂は日本国際の定款・社員給与関係資料・金融機関取引状況一覧表・不動産担保明細表などは受け取っていないし、(1)ないし(5)の確認・合意もしていない。この段階では、仮にこのような内容の話があったとしても、原告の一方的な説明にとどまるものであって、藤堂がこれを確認または合意することはあり得ないことである。

(三)  同3(三)の事実中、原告と藤堂が昭和六一年二月二七日、会談した事実は知らない。原告主張にかかる合意、了解等は否認する。仮に、原告が同日、江間忠木材やマルチモーダルインク社の件につき説明したとしても、具体的な未収金の金額が明らかでないし、また、それが貸借対照表上欠損金にどう影響するか、一株当たりの純資産額にどう影響するかも明らかではない。しかも、原告は、同日以降、最初の株式譲渡契約が成立した同年三月一一日までの間に、実資力算定表上の数字を修正し、直近の正確な実資力算定表を被告に提出する時間的余裕が十分にあったはずであるのに、現実にはそれも行っていないのであるから、そのような点をすべて考慮すれば、原告は同年二月二七日には右の件の説明すらしていないというべきである。したがって、藤堂が原告主張のような合意、了解等を行うこともあり得ない。

(四)  同3(四)(1)の事実は否認する。

以下、(1)ないし(4)の事実に照らすと、昭和六一年一月三〇日に本件債務引受契約が成立したとは到底考えられない。

(1) 原告と藤堂は昭和六一年一月三〇日が初対面であったし、当時被告会社では藤堂以外の取締役は、誰も原告と藤堂の交渉の事実を知らず、被告会社の組織的対応は全く始められていなかった。

(2) そのときに、原告が藤堂にどのような資料を見せたとしても、藤堂でなくとも、誰しもその場でそのような資料を一瞥ないしは通覧して、原告の要請に応ずるかどうかを判断し得る程に会社の実体が容易に把握し得るものではない。

(3) 株式譲渡代金だけでも約三億にのぼり、本件債務引受契約に至っては数十億円に達する巨額な取引であるから、藤堂が被告会社の取締役会にもはからず、細部を確かめも詰めもせず、何の書類も作らず、その場で、しかも一存で被告を当事者とする契約を締結できる筈がない。

(4) 特定の財産を買うような単純な契約ではないし、大きな責任を負担する法人としての契約であるから、当然本件債務引受契約については、具体的内容を盛り込んだ契約書面が作られるべきところ、本件株式譲渡契約については契約書面が作られたが、それよりも遙かに大きな責任と危険を負担する本件債務引受契約には契約書面が作られていない。

(五)  同3(四)(2)の事実は否認する。

藤堂は原告から、被告に対する株式の譲渡や、被告の日本国際に対する資本参加、経営委任などの要請を受けたが、藤堂・原告間の交渉は下交渉にすぎず、日本国際・被告間で経営参加契約及び役員派遣契約は成立していない。

(六)  同3(四)(3)の事実は否認する。

株式譲渡契約に関する契約は、その後昭和六一年三月以降、順次各譲渡人と被告間に成立したが、この段階ではいずれも成立していない。

4  同4の事実中、昭和六一年三月から四月にかけて、日本国際株式三四万五二〇〇株が被告に譲渡されたこと、被告の当時代表取締役であった藤堂が日本国際の代表取締役社長、原告が代表取締役会長に就任したことは認め、その余の事実は否認ないし争う。被告は、藤堂及び被告の他の取締役一名を派遣した事実はない。被告が同年四月ニ一日に日本国際に通知したのは、本件株式譲渡を白紙に戻すということであり、成立していない本件債務引受契約を撤回するという通知をした事実はない。

5(一)  同5(一)(1)の事実は知らない。右損害の主張中、三〇〇万円については、原告がその自由意思により株式会社第四銀行と和解契約を締結して支払ったものであり、三億〇一〇〇万円についても、原告が任意に支払ったものであり、被告の債務不履行と相当因果関係のある損害とはいいえない。

(二)  同5(一)(2)の事実中、日本国際が同年七月七日更生手続開始の申立をなし、同月一八日、保全管理人が選任され、同年一二月三日に更生開始決定がなされ、弁護士日下部長作が更生管財人に選任されたこと、原告が更生管財人に対し、一般更生債権三億〇一〇〇万円につき、更生債権届出を行ったこと、更生管財人が原告の届出債権全額に異議を述べたことは認め、その余の事実は否認ないし知らない。金三億〇一〇〇万円については更生債権として届け出をしながら、更生管財人から異議が述べられると、あえて債権確定訴訟の途をとらず、自らの自由な意思で事実上債権を放棄したのである。原告が、その自由意思に基づき弁済や放棄などの処分を行って失った財産権は、被告の債務不履行と相当因果関係のある損害とはいいえない。また、更生管財人が原告の求償債権の届け出に対し、異議を述べた理由は、原告が日本国際の代表者として、粉飾決算や蛸配当を行ってきたことに対する責任追求を行わないこと、さらには、倒産自体の経営責任を問わないことなど、日本国際の旧経営者であった原告に対する責任追求に関する管財人としての方針とのからみでなされたものであって、仮に被告に債務不履行があったとしてもその不履行と管財人との右異議との間には因果関係がない。

(三)  同5(一)(3)の事実は争う。原告主張の損害なるものは、すべて日本国際の倒産に起因するものであって、右倒産と本件債務引受契約の不履行との間には相当因果関係がない。また、日本国際は「被告の関与がなければ、倒産しなかった。」という条件自体がなく、仮に被告が関与しなくとも、日本国際自体の経営の悪化により倒産していたのである。その倒産は、昭和六一年一月三〇日ころの時点において、既に不可避で必然的な状況であった。

なお、被告の本件債務引受契約の不締結あるいは不成立と原告主張の損害発生の間に相当因果関係があるというためには、以下の①ないし⑦のすべての間に相当因果関係のあることが必要であるが、このうち、①と②、②と③、④と⑤、⑤と⑥の各間には相当因果関係がない。①被告の債務引受契約の不締結・不履行(原告の債務が残る。)―②日本国際の倒産―③原告の債務の履行―④更生債権届出―⑤管財人の異議―⑥原告債権確定訴訟断念―⑦損害の発生。

(四)  同5(二)の主張事実は全部否認し、争う。

本件債務引受契約は成立していないので、その撤回もあり得ない。仮にそうでないとしても、本件債務引受契約は原告個人と被告の問題であり、同契約の成否と法人である日本国際の倒産との間には因果関係がない。原告の主張はあくまで債務不履行である以上、慰謝料請求は認められるべき余地がない。

三  抗弁

1  本件債務引受契約の内容不特定による無効

本件債務引受契約による引受対象となる原告の保証債務の内容(保証額、債権者、保証条件等)は、昭和六一年一月三〇日、同年二月一七日及び同年三月一七日の時点では一切明らかでなく、本件債務引受契約は有効に成立していない。

2  取締役会の承認欠如による本件債務引受契約の無効

(一) 本件債務引受契約により被告が引き受けることになる債務は総額二六億五一二五万円ないし約三〇億円であり、商法第二六〇条二項三号の規定が定める「多額の借財」に該当するが、被告の取締役会は、本件債務引受契約を承認していない。

(二) 原告は、右(一)項記載の事実を知っていたか、そうでなくとも知り得べきであった。

3  経営参加契約の特別決議欠如による本件債務引受の無効

(一) 経営参加契約は、商法第二四五条一号の「営業譲渡」もしくは同条二号の「経営委任」に該当するところ、日本国際は、右経営参加契約締結について株主総会の特別決議を経ていない。

(二) 原告は、右(一)項記載の事実を知っていたか、そうでなくとも知り得べきであった。

(三) 本件株式譲渡契約、経営参加契約及び役員派遣契約なくして本件債務引受契約だけ締結されることはおよそ考えられず、右各契約は不可分一体というべきである。

(四) 以上のように、経営参加契約が株主総会の特別決議を欠き無効であるから、右契約と不可分一体である本件債務引受契約も無効である。

4  本件株式譲渡契約の詐欺取消による本件債務引受契約の無効

(一) 本件株式譲渡契約締結に至る経緯は以下のとおりである。

(1) 原告が代表者として、経営にあたってきた日本国際は、多年にわたる業績の悪化・資金繰りの悪化・過剰人員による経営効率の低下などのために、昭和六〇年末ころには完全に経営が行き詰まり、客観的に見ても倒産必至状態であった。

(2) 原告と石井は共謀して、この日本国際の株式を被告に売りつけるべく、富山港運を通じて、被告の当時の代表取締役藤堂に接近し、同人に対し、日本国際が右のような危機的状況にある事実を秘して、虚偽資料を提供して虚偽説明を行い、日本国際への資本参加・経営参加(将来的には経営委任)の話を持ちかけた。

(3) その結果、被告は、左のとおり日本国際の株式を購入した。

イ 昭和六一年三月一一日、東和運輸倉庫から一七万株を譲り受け、同日、同会社に対し、一億〇二〇〇万円を支払った。

ロ 同年三月一七日、原告から八万五五〇〇株を譲り受け、同日、原告に対し、七六九五万円を支払った。

ハ 同年四月一〇日、登産業合資会社(形式的には原告の妻が代表社員であるが、実質的には原告が支配する会社)から八万九七〇〇株を譲り受け、同日、同会社に対し八〇〇〇万円を支払った。

(二) 以上の事実に照らせば、原告は日本国際が倒産必至の危機的な財政状況にあり、その株式が実質的に無価値である事実を秘匿して、粉飾資料を当時の被告代表者藤堂に提供し、同人をして、日本国際の株式が財産的価値があるものと誤信させ、もって、本件株式譲渡契約を締結させたものである。

(三) 被告は原告に対し、平成二年六月八日の本件口頭弁論期日において、本件株式譲渡契約を取り消す旨の意思表示をした。

(四) 抗弁3(三)と同一。

(五) 以上のように、本件株式譲渡契約は詐欺により取り消されたのであるから、右契約と不可分一体である本件債務引受契約も無効である。

5  債権者の承認ないし同意を得ていないことによる本件債務引受契約の無効

本件債務引受は免責的債務引受であり、このような場合、債権者の承認ないし同意は債務引受に取り、不可欠の要件であるところ、本件の場合これを得ていない。

したがって、本件債務引受契約は無効である。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は否認する。

債務引受契約の成立要件として引受の対象たる債務の具体的内容(金額、債権者等)が契約時にすべて特定されている必要はなく、「特定し得るもの」であれば足りる。昭和六一年一月三〇日の第一回会談の時点で、被告は原告から提供を受けた日本国際の実質力算定表及び原告からの説明により、日本国際の金融機関からの借入金残高(長・短期借入金及び手形割引残を含む。)が約三〇億円であること、同時に原告の説明から、原告がこれら借入金のほとんどすべてにつき個人保証や物上保証を差し入れていることを知り、その場で原告の個人保証債務のすべてを被告が肩代りにすることを確約した(日本の銀行取引では会社の借入金を個人保証し、あるいは、物上保証するのは一般的な商取引慣行であり、日本国際の場合もその例にもれなかった。)。その場においては、原告の個人保証額や、保証先金融機関名等は特定されなかったが、これら債務額や保証先等は、引き続く数次の交渉過程で順次書面をもって特定されていく。すなわち、同年二月一七日の大阪での会談で原告が被告に提供した「金融機関取引状況」なる資料には、取引金融機関名及び各金融機関からの借入金額、並びに原告の個人保証または物上保証債務額が示されており、さらに「銀行借入残高並びに保証人担保状況(昭和六一年二月現在)」によれば、日本国際の借入金総額及び原告の実質的保証分、並びに各借入金ごとの原告の個人保証額も示されている。しかも、右会談の席上、原告は被告に対し、原告が金融機関に差し入れた個人保証書の写し、日本国際所有の不動産の登記簿謄本(九通)等をすべて提供している。

さらに、三月二七日、原告は被告に対し、各金融機関からの借入及び預金残高証明書(二五通)、原告所有の土地、建物に関する不動産登記簿謄本(各一通)、金銭消費貸借契約証書及び念書(各一通)、借入残高及び保証人明細(一通)を送付した。したがって、被告は遅くともこの時点で原告の個人保証債務の具体的内容をすべて把握した。こうして被告が引き受けるべき原告の個人保証債務の内容がこの段階で具体的に特定されたのだから、被告は原告の右個人保証債務及び物上保証債務を原告に代わって引受け、原告を免責させるべき義務を負担したことが明らかである。

2(一)  同2(一)の事実は否認する。

(二)  同2(二)の事実は否認する。

原告は、個人保証債務引受契約を当時の被告代表者である藤堂と締結した時点及び引き続く被告との交渉の全経過を通じて被告の取締役会が右契約の締結に承認決議をしていないとの事実を知らなかったし、また、知り得べき立場にもなかった。むしろ、藤堂は原告に対し、本件債務引受契約についても社内の納得を得ていることを述べており、また、本件取引の全経過によりみても被告の取締役会が本件債務引受に反対していることをうかがわせる具体的徴候も見出し得なかった。

3(一)  同3(一)の事実は否認する。

経営参加契約は商法第二四五条一号及び二号のいずれにも該当しない。第一に営業譲渡であるならば、口頭、文書を問わず、日本国際の商号、暖簾、営業免許、雇用契約関係、資産、負債、取引関係、その他原告企業体の構成物を被告に譲渡する旨の合意が成立している筈のところ、かかる合意が成立した形跡は全くない。第二に商法第二四五条二号にいう「営業全部の経営の委任」とは、企業の経営を全部他人に委任することと解されるが、経営の委任は民法の委任契約の一種と解されるところ、委任会社(日本国際)は受任者(被告)に企業経営に関する広範な包括的代理権を与え、受任者は自己の計算で自己の裁量に従って経営を行い、委任会社は受任会社から一定の報酬の支払または配当保証等の約束を受ける。しかるに、本件では日本国際と被告との間に右の如き事項、特に被告から日本国際への「一定の報酬の支払」や「配当保証の約束」等がなされた形跡は皆無である。

仮に、本件経営権取得が経営委任に該当したとしても、昭和六一年三月一〇日の日本国際の取締役会決議に基づき招集した同社の同年三月三一日開催の臨時株主総会において、被告による資本参加報告後の、質疑応答の中で、原告から全出席株主及び出席取締役全員に対し、被告による経営権の移動が説明され、全員異議なくこれを了承したのだから、株式総会の特別決議の要件は実質上満たしているのである。

(二)  同3(二)の事実は否認する。

(三)  同3(三)の事実は否認する。

本件株式譲渡契約、経営参加契約、本件債務引受契約及び役員派遣契約は、それぞれ相互独立に合意され、また原告・被告間及び日本国際・被告間とそれぞれ当事者を異にして成立している以上、そのいずれかの不成立や無効が当然に他の契約の消長に影響を及ぼすものとは考えられない。

(四)  同3(四)は争う。

4(一)(1) 同4(一)(1)(2)の事実は否認する。

原告が被告に提出した各種資料は粉飾したり、虚偽の内容のものではない。

(2) 同(4)(一)(3)の事実は認める。

(二) 同4(二)の事実は否認する。

藤堂は、昭和六一年四月八日ころ、日本国際の経理、経営状態が非常に悪く、再建に長期間を要する旨発言しており、被告は原告との交渉を通じて、日本国際の経理状況や経営状態が悪いことを十分認識していた。

(三)  同4(三)の事実は認める。

(四)  同4(四)の事実は否認し、同(五)の事実は争う。

5 同5の事実は否認する。

新旧債務者間で締結された債務引受契約はその時点で成立し、債権者の承諾を停止条件として効力を生ずる。そして債務引受人は、旧債務者をして、当該債務を免責させる義務を負うが、これは端的に言えば債権者の承諾を取りつけて債務引受契約を発効させるべき義務を履行しなければならないことを意味する。万一、債務引受に対する債権者の承諾を得られなかった場合には、債務引受人として旧債務者に代わり、現実の弁済をなすことにより旧債務者をして該当債務を免れさせる義務を負う。本件において、被告は債務引受人の履行すべき右の義務を履行していない。したがって、債権者の承諾を得ていないことを理由に、本件債務引受契約を無効とする被告の主張はその前提において誤っており、被告が債務引受人としての義務の履行を怠った結果、原告が被った一切の損害を賠償する責任を負うものである。

第三  証拠〈省略〉

理由

一1  請求原因1(当事者等)(一)のうち、原告が代表取締役であった期間については原告本人尋問の結果によってこれを認めることができ、その余の事実は当事者間に争いがない。

2  同1(二)の事実は当事者間に争いがない。

3  同1(三)のうち、日本国際の目的内容、現在更生会社であること、同社が昭和四四年八月に設立されたこと、日本国際が経営不振に追い込まれた事実は当事者間に争いがなく、その余の事実については〈書証番号略〉、原告本人尋問の結果によってこれを認めることができる。

二そこで、以下請求原因2(交渉に至る経緯)、同3(原告・藤堂間の会談の経緯)、同4(被告による本件全契約の一方的破棄)の事実について検討する。

当事者間に争いのない事実及び証拠(〈書証番号略〉、証人落石剛、同古川博義及び同石堂駿治の各証言、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨)によれば、以下の事実を認めることができる。

1  原告はかねてより海運不況のあおりなどから経営不振となっていた日本国際の経営に困難を感じて、昭和六〇年八月ころ、石井に対して適当な業務提携先を探してくれるよう頼んだ。石井は、同年九月ころ富山港運の寺島に右提携の話題を持ちかけたところ、間もなく同人から、かねてより関東地区への進出を希望しながら果たせないでいる被告が、港湾運送事業法第四条一項に基づき運輸省より下される無限定一種免許を有する日本国際との業務提携の話しに積極的であるので、被告の代表取締役社長である藤堂と会ってほしい旨の連絡を受けた。

そこで石井は、昭和六〇年一〇月一〇日に帝国ホテルで寺島専務とともに藤堂に会ったところ、藤堂から是非とも日本国際との提携の話を進めてほしいと頼まれたため、これを原告に伝えた。原告は当初被告との提携にあまり積極的でなかったものの、結局、同年一二月末になり、ようやく被告と交渉する意思がある旨を回答し、第一回の会談が昭和六一年一月三〇日に開催されることになった。

原告は、日本国際の企画室長であった古川博義に指示して日本国際の実際の資産、負債を示す実資力算定表及び不良資産内訳等の書類を作成させた。前者は貸借対照表を不良資産、含み資産等を考慮して修正したものであった。また、藤堂は、昭和六〇年の末ころ、被告の落石剛常務(以下「落石」という。)に対し。会社名を匿名にしながらも、株式買い取りの話を進めている旨話していた。

また、右契約交渉を行うに先立ち、原告は石井を介し予め藤堂に大略以下のとおり四項目の前提条件を提示した。

(一)  被告は原告外一五名が保有する日本国際発行済株式合計三四万五二〇〇株(日本国際の発行済株式の約八六パーセントに相当)を買い取り、日本国際の筆頭株主となること(買取価格はおって協議のうえ決定する。)。

(二)  被告は日本国際の筆頭株主として日本国際の経営責任を負うこと。

(三)  被告は日本国際に代表取締役社長及び取締役一名を派遣し、原告は代表取締役会長に退くこと。

(四)  被告は、原告が日本国際の銀行借入につき負担したすべての個人保証債務(物上保証を含む。)を原告に肩代わりして引き受けること。

2  原告、藤堂、石井は昭和六一年一月三〇日、東京の帝国ホテルにおいて第一回目の会談を行った。

右会談では、日本国際の株式(東和運輸倉庫保有分一七万株、登産業保有分八万九七〇〇株、原告外個人株主一三名保有分八万五五〇〇株、合計三四万円五二〇〇株。)を被告に譲渡する件と原告が日本国際の銀行借入に際して負担した個人保証債務(物件保証を含む。)の全額を被告が原告に肩代わりして引き受ける件等につき話し合いがなされた。

まず、右会談の席上、原告は藤堂に対し、日本国際の会社組織図、昭和六〇年実資力算定表、不良資産内訳、有価証券及び不動産等含み資産内訳、第一七期上期売上順位表、日本国際の子会社である横浜貨物加工事業協同組合の貸借対照表(兼実資力算定表)等を手渡した。そして、原告は、藤堂に対し、これらの各資料に基づき、昭和六〇年九月三〇日現在、資産の合計は四〇億三七九〇万円であるが、不良資産が六億八三五万円あり、他方、含み資産等が七億八一〇〇万円あるので、修正後の資産は、四一億三五〇五万円であること、流動、固定負債の合計は三七億五九九五万円で、退職給与引当金は修正後は〇円であることなどを示して説明し、藤堂は右の各資料により日本国際が各金融機関から昭和六〇年九月期において長・短期借入残が計二六億五一二五万円、手形割引が三億八六四四万円、合計三〇億三七六九万円の債務を負担していることを確認して、本件の株式を総額約五億円(一株当たり一二五〇円)で買い取りたいと述べた。これに対し、原告は、日本国際の現状からして右価格では高すぎる旨述べたところ、藤堂は再考のうえ、本件株式を総額約三億円(一株当たり七五〇円)で買い取ることを再提案し、原告はこれに同意した。

また、右会談で原告は同人が日本国際の各金融機関に対する借入金につき全額保証し、かつ、その一部につき自己所有の不動産に抵当権を設定している旨の説明をし、藤堂は被告が日本国際の株式を譲り受けるにあたって原告個人の右抵当権や担保をすべて肩代わりし、その時期を全株式譲受け後とする旨の回答をした。

3  原告と藤堂は、昭和六一年二月一七日、大阪において第二回目の会談を行った。

右会談で、原告は藤堂に、日本国際の定款、社員給与関係資料などを手渡した。

この席上で、同人らは以下のとおり確認または合意した。

(一)  譲渡対象である本件株式の内容及び譲渡価格を再確認した。

すなわち、東和運輸倉庫保有にかかる日本国際株式の譲渡価格は一株当たり六〇〇円とし、当初予定していた一株あたり七五〇円との差額は原告外一四名の保有にかかる株式の譲渡価格に上乗せする(一株当たり九〇〇円となる。)こととした。

(二)  原告は日本国際の代表取締役社長から退き、代わって藤堂がその地位に就任する。原告は代表取締役会長となる。

(三)  本件株式の譲渡は三月末までに完了し、四月一日から被告主導の下に新体制で発足する。

(四)  今後とも日本国際の主要取引銀行は、三井、大和、富士の各銀行横浜支店とする。

4  原告、藤堂及び石井は、昭和六一年二月二七日、東京の帝国ホテルにおいて第三回目の会談を行った。

右会談では、本件株式の譲渡に係る節税対策として、登産業が保有する日本国際の株式八万九七〇〇株は四月上旬に被告に譲渡すること、日本国際の役員、社員の待遇は現状通りとすることなどが合意された。

この席上、原告は藤堂に対し、日本国際が昭和六一年三月期に一億円余りの経常赤字を計上する見込みであること、原告から被告に提出してあった不良資産内訳の記載事項に加え、江間忠木材式会社に対し約五〇〇〇万円の長期未収金があるが全額の回収は期待し得ないこと、日本国際の関連会社であるマルチモーダルインク社がソ連との取引で約三億円の長期未収金をかかえているため、日本国際から約一億円の資金援助をしていることなどを報告した。

藤堂は原告から右の報告を受け、すべて了解すると回答した。最後に原告から藤堂に対し、三月五日までに被告に対し、本件株式の譲渡に関する契約書の案文及び原告の個人保証債務全額の被告による引受に関する契約書の案文を送付する旨述べ、藤堂もこれを了承のうえ会談は終了した。

また、このころまでに、藤堂は原告に対し、「被告の取締役会で、会社名は公表できないが、横浜で無限定一種を買収する話を進めており、相手方とも話がついていると話してある。」旨の報告をしている。

5  原告は、昭和六一年二月二八日、日本国際の主要取引銀行である三井銀行、富士銀行、大和銀行横浜支店を訪れ、被告に対する株式譲渡及び原告の個人保証債務の被告による引受、被告による日本国際の経営を説明し、今後とも日本国際への協力、支援を継続してほしい旨依頼したところ、各銀行の支店長はいずれもこれを了承し、日本国際への協力と支援を約した。

6  原告、藤堂、被告の落石は、昭和六一年三月四日、大阪で第四回目の会談を行った。

右会談では、本件株式譲渡の実行日を、東和運輸倉庫保有分は三月一一日、原告及び一三名の個人株主の保有分は三月一五日、登産業保有分は四月上旬と決定した。

なお、この席上、原告、藤堂、落石の三者で被告の資本参加に伴う経営権取得に伴う詳細について話し合いを行った際、落石は、日本国際の経営建て直しには約一〇億円の資金投入が必要となる旨発言した。

昭和六一年三月五日、被告の取締役会が発催され、この席上藤堂はこれまで公表を差し控えていた買収の相手方が日本国際であること、買収する株数は同社の発行済株式の約八六パーセントであり、買収価格は約三億円であることなどについて報告をし、承認された。

7  昭和六一年三月七日、原告は被告宛に、株式譲渡契約書案二通(原告外一三名の株主と被告間に調印されるもの及び登産業と被告間に調印されるもの)、金融機関からの借入保証に関する覚書(原告の個人保証の肩代わりを目的とし、原告と被告間に調印されるもの)等の書類を送付した。

日本国際は、同年三月一〇日に取締役会を開催した。原告は、右会議において被告と提携する件として、日本国際の経営体質の強化を図るため被告と締結することを決心したことについての経緯と現時点での双方の了解事項に関して日本国際の発行済株式八六パーセントを被告に譲渡することなどについて詳細な説明と、同人が右手続を大株主、大口取引先及び主要取引銀行の理解を得ながら進行させたことを報告し、了承された。

8  昭和六一年三月一一日、東京プリンスホテルにおいて会談が行われ、日本国際側から原告、日本国際顧問弁護士である三笠禎介弁護士、石井が、被告側から藤堂、落石、被告東京支社の太田総務部長、東和運輸倉庫から鯨岡社長外数名らが出席した。

この席上、東和運輸倉庫と被告間に、三月一一日付けで有価証券譲渡契約書が調印され、被告は東和運輸倉庫に代金一億〇二〇〇万円を支払い、右入金が確認された後、東和運輸倉庫保有分にかかる日本国際株式一七万株が被告に譲渡された。

また、この席上、原告から被告に対し、原告の個人保証債務引受に関する契約書に署名、押印してほしい旨要請したところ、落石は、原告が三月七日に被告に送付済みの「金融機関からの借入保証に関する覚書」(〈書証番号略〉)には「…森本太郎が関係各金融機関に差し入れた保証及び担保は…」と記載され、その明細が記入されていないとしてその訂正を求めるとともに、債務引受金額を確認する必要上原告が金融機関に差し入れている保証書の写し、担保の明細の提出を求めた。原告が右関係書類提出後どの位の期間で契約書に署名、押印するか質問したところ、落石は四、五日後に行えると回答した。藤堂は、落石に対し、「今さらその必要がない。」旨述べ、右覚書への調印を指示したが、原告は改めて右覚書の一部を修正し、引受債務等明細を添付したものを三月一七日、被告に持参する旨を回答した。

9  昭和六一年三月一七日、大阪の被告の社長室で原告、藤堂、落石らが出席のうえ、会談が行われた。

右会談では、原告外一三名の株主と被告を当事者とする株式譲渡約が調印され、原告外一三名(いずれも個人株主)保有にかかる日本国際株式合計八万五五〇〇株が被告に譲渡され(株券の引渡完了)、同時に譲渡代金七六九五万円が原告らに支払われた。

その際、原告は藤堂に対し、前回の会談で落石から提出を求められていた金融機関借入保証に関する覚書(債務及び担保の明細表添付)、「金融機関取引状況」と題する書面(取引金融機関名、各金融機関からの借入金額、原告の個人保証及び物上保証債務額が示されている。)、日本国際所有不動産の登記簿謄本(九通)、過去五期にわたる日本国際の決算報告書及び税務申告書、銀行別借入残高並びに保証人担保状況(日本国際の取引金融機関名及び各々の借入金総額、原告の実質的保証分、各借入金ごとの原告の個人保証額、担保の内訳等が記載されている。)、原告が金融機関に差し入れた個人保証書の写し等の書類を提出した。

そして、原告から〈書証番号略〉の文言を「森本太郎が関係各金融機関に差し入れた別紙添付の各保証及び担保は…」と修正した「金融機関からの借入保証に関する覚書」(〈書証番号略〉)への調印を被告に求めたところ、落石は日本国際に関する勘定科目詳細、固定資産台帳、原価償却明細、各人別退職金関係資料、企業年金関係資料、一六期法人税申告書別紙四、受取配当益金不算入に関する資料、貸倒引当金計算方法に関する資料等の各書類の提出を求めてきたので、原告は、三月二〇日付けで被告宛に前記各資料を送付した。

10  昭和六一年三月三一日、日本国際の臨時株主総会及び取締役会が開催された。右会議には、被告を代表して藤堂も出席した。臨時株主総会では、第一号議案として、東和運輸倉庫保有の全株式一七万株と石橋拓朗外一三名所有の株式五万一五〇〇株が被告に譲渡された経過が報告された。また、第二号議案として「取締役会は取締役会長これを招集する。」旨の定款を「取締役社長これを招集する。」旨に改めることが可決され、第三号議案として藤堂及び当時の被告東京支社複合輸送部部長代理であった石堂駿治(以下「石堂」という。)が日本国際の取締役として選任された。これに引き続き、取締役会が開催され、同会は、原告を代表取締役会長に、藤堂を日本国際の代表取締役社長にそれぞれ選任した。

藤堂と石堂が日本国際の取締役に、また、藤堂が代表取締役に就任したことは、昭和六一年四月一〇付けで商業登記簿に記載された(なお、石堂が右株主総会及び取締役会に出席したことを認めるに足りる証拠はないが、同人は取締役として選任されたことを知りながら、日本国際に対して異議を述べていないことなどからみて、これを予め承諾していたものと推認される。)。

11  昭和六一年四月一日から同月三日にかけて被告は公認会計士らに依頼して、日本国際の経理及び経営内容等の調査を実施した。

そのころ、業界紙は、被告が日本国際に資本参加する旨を報じている。

12  昭和六一年四月一〇日、登産業と被告との間に株式譲渡契約書が作成され、登産業保有にかかる日本国際株式八万九七〇〇株が被告に譲渡され、譲渡代金八〇〇〇万円が登産業に支払われた。

昭和六一年四月一四日、原告は藤堂に対し、電話で、既に被告に提出済みの「金融期間からの借入保証に関する覚書」に至急調印するよう重ねて要請したところ、藤堂社長は直ちに調印の上、航空便で送付することを確約していた。

ところが、昭和六一年四月一五日に開催された被告の取締役会では、原告の債務を引き受けることを否決し、本件株式は元に売り戻し、日本国際の経営権取得、これとの業務提携、これへの役員派遣はしない旨の決議がなされ、さらに、その直後藤堂の退任を求める動議が提出されたため、最終的には藤堂は辞任届けを提出して代表取締役社長を辞任することとなった。

同日、被告の三浦経理部長代理から原告に電話があり、被告の取締役会において、日本国際に対する保証債務及び資金援助の件を否決したとの連絡がなされた。原告は、主要取引銀行であった三井銀行から、被告の保証により新たに約二億円の融資を受ける予定になっていたので、被告から保証債務の件を否決したとの連絡を受けると、直ちに同銀行にその旨の連絡し、右融資についてどう対処するが打合せを行った。しかし、同銀行は、被告が保証債務を否決したことを知るや、新規融資を取りやめた。

さらに、四月二一日、被告から原告に対し、「日本国際輸送(株)に関する決議と確認の件」と題した前記取締役会の決議を内容とする書面が手渡されたが、これらの事項に関して、これまでの交渉経緯を踏まえた上での被告から原告に対する説明は一切なされなかった。

13  右被告の決定は、四月一六日ころには噂として流れ、同月二〇日過ぎには業界紙で報道された。被告が日本国際から手を引いたとの新聞報道の直後から、全ての取引銀行は新規融資を停止し、貸付金の約定返済の励行を厳しく迫った。日本国際は、四月下旬ころには運転資金等を捻出することが困難となり、原告は主要取引銀行であった三井銀行に五〇〇〇万円の融資と、月次返済の猶予を懇請した。同銀行は原告とその妻の所有する土地、建物を追加担保として提供し、できるだけ早急に右不動産を処分して同銀行からの借入金の個人保証分を一括返済することを条件として提示してきたので、原告はこれを承諾し、同人とその妻所有の土地、建物に昭和六一年四月二四日付けで極度額二億円の根抵当権を設定した。その結果、同銀行は日本国際に対し、五〇〇〇万円を融資するとともに、借入金の月次返済を猶予することとなった。

前記報道の結果、顧客である荷主は、日本国際の倒産を恐れて取引を停止した。その結果、日本国産の事業収入は同年五月以降次のように激減した(かっこ内は昭和六〇年度の同月の事業収入である。)。

昭和六一年一月 四億六〇〇〇万円

(昭和六〇年一月 四億七〇五七万円)

同年二月 三億六七八五万円

(同年二月 四億〇五四三万円)

同年三月 四億二四二一万円

(同年三月 五億二六八八万円)

同年四月 四億九六二二万円

(同年四月 四億四九九九万円)

同年五月 二億九八六一万円

(同年五月 四億七三九〇万円)

同年六月 一億九九五四万円

(同年六月 四億八五七四万円)

同年七月   八三六九万円

(同年七月 四億七六八八万円)

日本国際は同年七月二二日の支払手形決済及び七月末日の銀行借入の約定返済見込みが立たなくなり、七月七日ついに更生手続開始の申立てをなすに至った。

14  この間、原告は、昭和六一年六月一一日、原告とその妻所有の土地、建物を処分して、三井銀行に対し二億五一〇〇万円を支払い、また、同土地に抵当権を有していた富士銀行の要求で被担保債務五〇〇〇万円を同銀行に支払った。右はいずれも日本国際の借入金につき、原告らが物上保証していたものである。また、昭和六三年九月に至り、株式会社第四銀行が原告に対し、同行が日本国際に対して有する貸付金残高六〇〇〇万円余りについての連帯保証債務の履行を求める訴訟を提起した。その結果、平成元年三月八日、原告は同銀行との間に成立した訴訟上の和解に基づき三〇〇万円を同銀行行に支払った。

15  日本国際が昭和六一年七月七日付けで横浜地方裁判所に申し立てた会社更生手続開始申請事件(横浜地裁(ミ)第三号)において、横浜地方裁判所は同年七月一八日保全処分決定を下し、保全管理人を選任し、さらに同年一二月三日、更生開始決定を下し、更生管財人に弁護士日下部長作を選任した。

原告は、右手続において、更生管財人に対し、一般更生債権三億〇一〇〇万円につき、更生債権届出を行った。しかし、同人は、横浜地方裁判所から、昭和六二年五月二七日付け書簡により、右届出債権全額につき管財人から異議があった旨の通知を受けた。更生管財人が原告の更生債権全額に異議を述べたのは、更生手続においては、更生会社代表者が会社に有する債権を一〇〇パーセント切り捨てるのが通例の扱いであること、そしてこれを否認しない限り、更生計画への債権者による協力が得られず、更生手続が進まなくなり、最悪の場合破産手続に移行せざるを得なくなるとの理由によるものであった。そこで、原告は、届出債権全額につき債権確定訴訟を提起する途も残されてはいたが、かかる訴訟が更生手続の進行に及ぼす悪影響(更生手続が破綻し、破産手続に移行する虞れが大きかったこと、日本国際の一〇〇余名の従業員の雇用を確保する目的に反することとなること、原告は日本国際の経営責任を負う立場にあったこと)を考慮し、訴訟提起を断念した。

右更生手続開始後、横浜地裁の選任により日本国際の経理調査を行った公認会計士大場伊久男も、昭和六一年一〇月二一日付け調査報告書において、原告及びその妻らへの債務を一〇〇パーセント切り捨てることを前提に、更生会社による債務弁済計画立案し、結局昭和六三年三月一四日の関係人集会において右更生計画案が承諾された。

三本件各契約の成立について

1  以上の事実を総合すると、遅くとも昭和六一年二月一七日までに、被告と原告、日本国際及びその株主(原告がその代表または代理人)との間で、日本国際の株式八六パーセントを被告に譲渡すること、被告は日本国際に代表取締役一名、取締役一名を派遣し、その経営を行うこと、原告はその所有株式の全てを被告に譲渡し、日本国際の代表取締役社長の地位を退き、経営権を持たない代表取締役会長となること、その代わり原告が日本国際の銀行借入につき負担していた保証債務を被告が免責的に引き受け、かつ、原告の物上保証を解除し、被告がこれに代わって担保を差し入れることを内容とする基本的な各契約が成立し、その後、これに従って各株式の譲渡が行われる毎に譲渡契約書が逐次作成され、また、藤堂が日本国際の代表取締役社長となり、石堂がその取締役となったことが認められる。

そして、前記認定のとおり、被告は右のような各契約を締結しながら、昭和六一年四月一五日に至って一方的に全契約を破棄したものであるから、右は民法四一五条の債務不履行に該当する。

2  この点、被告はまず抗弁1として本件債務引受契約による引受対象となる原告の保証債務の内容(保証額、債権者、保証条件等)が、昭和六一年一月三〇日、同年二月一七日の時点及び同年二月二七日の時点ではいずれも明らかでなく、本件債務引受契約が有効に成立しない旨主張する。

しかし、本件債務引受契約においては、原告は日本国際の借入金のほぼ全額につき保証しており、被告は右保証債務を全て引き受けるという内容であり、しかも日本国際の借入金の額は、昭和六〇年九月現在において長期、短期を合わせて二六億五一二五万円、手形割引が三億八六四四万円であることが昭和六〇年一月三〇日の会談で明らかにされていたのであるから、その後において右金額が多少修正されたとしても、何ら特定に欠けるところはない。

3  被告は抗弁2として、被告が引き受けることとなる債務は商法第二六〇条二項三号の「多額の借財」に該当するところ、被告の取締役会は本件債務引受契約を承諾しておらず、原告はこのことにつき悪意あるいは善意・有過失であるから、本件債務引受契約は無効である旨主張する。

しかし、前認定のとおり、原告は日本国際の株式譲渡に関する件と原告が日本国際の銀行借入につき負担していた保証債務の引受の件とを前提条件として、藤堂との間で業務提携の交渉をしていたこと、前記藤堂と原告との第二回会談が行われた昭和六一年二月一七日ころまでには、日本国際の資産、七日ころまでには、日本国際の資産、負債内容が不良資産、含み資産を入れて全て明らかにされ、藤堂はこれを了解した上で右保証債務引受と一体をなす株式譲渡契約における代金や役員派遣の時期まで決定されていたことなどの事実からすれば、原告は当時被告の取締役会が本件債務引受契約について承認していなかったことにつき善意・無過失であったものと認めることができる。

4  被告は抗弁3として、債務引受契約と不可分一体となっている経営参加契約は商法第二四五条一号の「営業譲渡」もしくは同条二号の「経営委任」に該当するところ、日本国際は経営参加契約について株主総会の特別決議を経ておらず、原告はこのことにつき悪意あるいは善意・有過失であるから、結局債務引受が無効である旨主張する。

しかし、まず、「営業の全部または重要なる一部の譲渡」とは、一定の営業目的のため組織化され、有機的一体として機能する財産の全部または重要な一部を譲渡し、それにより、譲渡会社がその財産により営んでいた営業的活動の全部または重要な一部を譲受人に受け継がせ、譲渡会社がその譲渡の限度に応じて競業避止義務を負う結果を伴うものをいうところ、本件全証拠をもってしてもかかる合意が成立したものと認めることはできない。

また、商法第二四五条二号の「経営委任」とは、企業の経営を全部他人に委任し、その損益を委任者または受任者に帰属させ、その対価として前者の場合は受任者が報酬を受け取り、後者の場合は委任者が報酬または配当を受け取ることを内容とする契約であるが、本件全証拠をもってしてもこのような約束がなされた事実を認めることができない。

5  また、被告は、抗弁4として、債務引受契約と不可分一体となっている株式譲渡契約は詐欺によるものであり、これを取消したから、結局、債務引受契約も無効となる旨主張する。

しかし、本件全証拠をもってしても、原告が日本国際が倒産必至の危機的状況にある事実を秘して、藤堂に虚偽資料を提供して、虚偽の説明を行い、その結果、被告が本件株式を購入したと認めることはできない。

かえって、前認定のとおり、原告は昭和六一年一月三〇日、藤堂に実資力算定表及び不良資産内訳等を記載した一覧表を示し、不良資産が会計六億八三五万円あり、この中には架空売上げ、法人税の仮払金処理等が含まれること、退職給与引当金は〇円であることを説明し、同年二月二七日には、江間忠木材及びマルチモーダル社への債権が不良債権となっていることを追加報告していること、登産業が保有していた日本国際発行済株式八〇〇〇株の譲渡は、被告が日本国際の経理調査を完了した四月三日から一週間を経過した四月一〇日になされているが、このときも特に被告から異議が出されていないことなどの事実からすれば、原告は日本国際の経理状況や経理実態を全て明らかにし、藤堂らはこれを十分認職したうえで本件株式譲渡契約をしたものと認めることができる。

したがって、本件株式譲渡契約の詐欺取消を前提とする被告の主張は失当である。

6  さらに、被告は、抗弁5として、本件債務引受契約は免責的債務引受契約の要件である債権者の承諾ないし同意を欠くので無効である旨主張する。

しかしながら、本件においては、被告は債権者の承諾がなされる前に本件債務引受契約を破棄したことが明らかであり、右承諾以前においても、原告と被告との当事者間では右契約を拘束力を持つから、右主張は採用できない。

四因果関係について

1 前認定のとおり、原告は日本国際と被告との業務提携について、取引銀行の了解を得ながら交渉を進めていたこと、日本国際と被告との業務提携は港湾運送業界の専門誌等で紹介されていたこと、しかし四月一五日に被告が一方的に本件各契約の破棄を通告してきたため、原告は被告の債務引受を前提に三井銀行との間で予定していた運転資金二億円の融資を断られたこと、四月下旬には港湾運送業界誌において日本国際と被告との契約破棄が報じられ、これを契機として、日本国際の取引銀行は新規融資を停止するとともに貸付金の返済を厳しく迫り、また、顧客である荷主は取引を停止したこと、その結果、昭和六一年五月以降の日本国際の経営状態は悪化し、営業収入は激減したこと、五月末の日本国際における金融機関借入残高は約二五億八九〇〇万円であり、各金融機関は日本国際に対し、運転資金の貸付をほとんど停止するとともに、貸付金の約定返済を厳しく督促していたこと、しかも、日本国際は運転資金の枯渇により、銀行借入の約定返済に応じ得ない状況に陥っていたこと、原告は六月一一日に三井銀行に対し二億五一〇〇万円、富士銀行に対して五〇〇〇万円、合計三億〇一〇〇万円の保証債務を履行したこと、株式会社第四銀行は日本国際に対して有する貸付金六〇〇〇万円についての連帯保証債務の履行を原告に求める訴訟を提起し、原告は、平成元年三月八日、和解により三〇〇万円を支払ったこと、日本国際は昭和六一年七月七日、更生手続開始の申立をなしたことなどの事実からすれば、被告が原告との本件債務引受契約を含む本件全契約を履行していれば、右認定のような原告の保証債務の支払いがなされず、また、日本国際の更生手続開始申立てもあり得なかったという点で、被告の不履行と原告の取引銀行への保証債務の支払い、日本国際の更生手続開始との間に事実的な因果関係を認めることができる。

2 次に、前認定のとおり、原告は被告が日本が日本国際との業務提携から撤退した後、日本国際の経営責任を全面的に負わなければならない立場にあったこと、原告が更生管財人の異議を争い、債権確定訴訟を提起したとするならば、更生計画への債権者の協力が得られず、更生手続が破綻し、破産手続に移行するおそれがあったこと、破産手続になれば日本国際を存続させ、一〇〇余名の従業員の雇用を確保するという目的が達せられなくなったことなどの事実からすれば、原告が債権確定訴訟を提起せず、求償債権を放棄したことは止むを得ないものと考えられる。

また、原告が株式会社第四銀行対し支払った和解金についても、これは被告が本件債権引受契約を含む全契約の債務と履行しなかったことによる結果と認めることができる。

五損害について

1(一)  保証債務履行分について

前認定のとおり、原告は、昭和六一年六月一一日、三井銀行に対し二億五一〇〇万円、富士銀行に対し五〇〇〇万円(合計三億〇一〇〇万円)の個人保証債務を両行の督促に応じ日本国際のために履行し、また、平成元年三月八日、株式会社第四銀行行に対し、和解契約に基づき三〇〇万円を銀行に支払った。

(二)  日本国際が被告による本件債務引受契約を含む全契約の債務不履行を契機として更生手続開始申立に至ったことは右のとおりであるが、〈書証番号略〉によれば以下の事実を認めることができる。

(1) 港湾運送業界は戦後順調に成長を遂げていたが、昭和五〇年に至り石油危機で成長鈍化の傾向が現れた。昭和五四年から昭和五六年ころに一時景気が持ち直したこと等により業界の成長も再び加速したが、その後景気は横這いとなり、港湾を経由する貸物についても軽薄短小化の影響で輸出額は増加したものの、量的には横這いの状態であり、また、貸物のコンテナー化による港湾荷役量の減少、荷主側の物流コスト節約による圧縮、同業他社との競争激化による港湾荷役料金の引上不調等が重なり、港湾運送業界を取り巻く環境は極めて厳しい状況となっていた。

(2) 日本国際は、昭和五〇年のオイルショックの影響による営業の伸び悩みに対処すべく、昭和五一年から昭和五二年にかけて、台湾のターペンライン社と船内荷役作業請負契約、代理店契約を締結したが、ターペンライン社の経営危機により、同社傭船二隻の肩代わり運航による収益増加を試みた。しかし、同船傭船契約によるトラブルと急激な円高により約二億六〇〇〇万円の損失を蒙った。

また、昭和五九年には代理店船内荷役部門の収益源であったフジエンタープライズ株式会社の倒産があり、昭和六一年三月には、代理店船内荷役部門の主要取引先である協成汽船株式会社、協成ライン株式会社及び三達海運株式会社が海運不況のあおりを受けて、会社更生手続開始申立を行った。この結果、日本国際は右各会社に対し合計で約四九〇〇万円の不良債権を生ずることになった。

右の状況に対して、日本国際は不採算部門であった大阪営業所の閉鎖(昭和五九年一二月)、本社事務所賃借部分の一部返却(同年)、万国橋倉庫の返却(昭和六一年一月)、本牧倉庫の返却及び東京支店事務所の一部返却(昭和六一年六月)さらには大幅な人員削減(昭和五六年から昭和六一年五月にかけて約一三〇名)を実施したが、同時に、右の人員削減による退職金支出も大幅に増加した。

(3) これらの諸施策を行った後でも業績は回復せず、結局、日本国際の事業収入は、昭和五九年三月期を最高に随時減少しており、その公表した数字によれば、昭和六一年三月期には、対前期比四億七二〇〇万円の減収となり、また、利益ベースでも昭和六〇年三月期までは若干の利益を計上し、昭和六一年三月期には一億三四〇〇万円の赤字となっているが、多額の不良債権や架空売上げを考慮すれば、昭和五八年ころから実質的に赤字となっていた。日本国際はこのような赤字経営を銀行等の借入により賄ってきた。

その結果、資金繰りは悪化し、昭和六一年一二月期では総資産に対する借入金総額の比率が73.3パーントとなった。昭和六〇年から六一年にかけての日本国際の資産、負債の状況は前記認定のとおりである。

このような日本国際が被告との資本参加等の業務提携を開始する以前の日本国際の営業状態を考慮したとしても、被告が主張するように被告の債務不履行がなくとも、日本国際自体の経営の悪化により倒産は不可避であったとまでは言うことはできない。しかし、日本国際が本来的に有していた経営体質が日本国際の倒産を招いた一因となったことは以上の事実から否定できないから、過失相殺の法理を適用し、日本国際が自らの倒産に寄与した割合を三割と認定するのが相当である。

したがって、原告の蒙った損害のうち、被告に負担させるべき額はその七割の二億一二八〇万円と認められる。

2  慰謝料について

一般に財産上の義務不履行を原因とする損害の賠償にあっては、たとえそれによって相手方が精神上の損害を蒙ったとしても、右損害は財産的損害が賠償されればこれによって共にその慰謝がされるものと解するのが相当である。しかし、場合によれば、財産上の損害を越えて、その賠償があってもなお慰謝され得ない精神上の損害を蒙る場合もあり得るのであり、この特別の場合にあっては、不履行者においてこの特別事情による損害を予見し、または予見し得べかりし場合に限りこれを賠償すべき義務があると解すべきである。

そこで、本件について考えるに、前認定のとおり、原告は、被告が日本国際と業務提携をすることによって日本国際の経営建て直しを図り、かつ、原告が自ら取引金融機関に差し入れた個人保証を肩代わりすることを約束したため、これを信頼していたこと、原告は被告との業務提携を前提に取引金融機関との融資等について交渉を進めていたところ、被告の一方的な本件債務引受契約を含む本件全契約の破棄によって突然の窮地に追い込まれ、個人保証債務を履行せざるを得なくなったこと、被告の本件全契約の不履行は、日本国際の更生開始申立の大きな原因となっていることなどの事実からすれば、原因は被告の右債務不履行によって事業家としての信用を失墜させられるなどの精神的苦痛を味わうに至ったものと認めることができる。そして、右原告の精神的苦痛は前記財産的賠償によって慰謝されるものと考えることはできず、また、本件債務不履行によって原告が右のような精神的苦痛を味わうに至るべきことは、被告において当然にこれを予見し得たものと認められる。

したがって、本件諸事情を考慮して慰謝料を二〇〇万円とすることが妥当である。

六以上のとおり、本訴請求は、原告に対し金二億一四八〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成元年四月一四日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官谷澤忠弘 裁判官古田浩 裁判官細野敦)

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